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最高裁判所第一小法廷 昭和42年(あ)1563号 判決 1968年6月13日

主文

原判決を破棄する。

本件を名古屋高等裁判所に差し戻す。

理由

弁護人今島廉蔵の上告趣意は、単なる法令違反の主張であって、刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない。

しかしながら、所論は、被告人に原判決の判示するような過失はないと主張しているので、職権をもってこの点を検討する。

第一審判決が認定した罪となるべき事実は、被告人は、自動車運転の業務に従事するものであるが、昭和四〇年六月二八日午後一〇時五〇分ごろ普通貨物自動車を運転して石川県羽咋郡押水町字小川力、五〇番地先の幅員六・〇七米の国道を時速約五〇粁で南進中、当時雨後のため路面が湿潤し滑走しやすい状態であったにかかわらず、先行する乗用自動車に接近し、その直ぐ後方約八米の箇所を、右先行車の車体にさえぎられて進路左前方に対する見通しがきかない状態のまま、前記高速度で漫然追従進行した業務上の過失により、折から右折の合図をしつつ前方道路左側を同方向に進行中の岡部康孝(当時三八才)運転の第一種原動機付自転車を看過し、右車両が右折を開始し自車の進路上に進出するに至ってはじめてこれを約五・二米前方に発見し、急制動措置をとったが及ばず、自車左前フェンダー付近を右車両のガソリンタンク右側付近に衝突転倒させ、よって、右岡部に全治約七か月を要する右大腿骨、下腿骨骨折等の傷害を負わせた、というものであり、第一審判決は、右認定事実に刑法二一一条前段を適用して、被告人を罰金三万円に処している。

そして、原審弁護人が、本件事故の原因は、被害者が後方を十分確認せず、道路交通法三四条二項に違反していきなり右折を開始した過失によるものであり、被告人にはなんら過失がなかった旨を主張したのに対し、原判決は、第一審の認定事実を維持し、本件の場合、被告人としては、先行車と自車との間を、他の歩行者もしくは車両等が横断を試みる場合があることは当然予想されるところであるから、すべからくいったん減速するなどして、先行車との間に相当な車間距離を保って進行する注意義務があったのであり、被告人が右注意義務を守っておれば、たとい被害者が前記のような違法な(道路交通法三四条二項違反の)右折方法をとったとしても、本件事故は避けられたと認められる旨の判断をして、弁護人の前記主張をしりぞけている。

しかし、原判決が維持した第一審判決の前記認定によると、被害車両は、はじめ先行車の左側を、先行車よりむしろ前を走っていたが(そう考えないと、被告人の位置から被害車両が見えなかったという認定が不合理である。)、事故発生地点の直前で先行車をやりすごすと同時に、進路を右に転じて被告人の自動車の前面に出てきて衝突したことになる。しかも、先行車と被告人自動車との間隔約八米は、計算上時速約五〇粁の車両がわずか〇・六秒弱で通過する距離であるから、第一審認定どおりの事実関係であるとすると、この間隔に割りこんで瞬時に被告人の自動車の前面を通過しようとする被害者の行為は自殺的行為にひとしいものというほかなく、被告人としては、かような被害者の自殺的行為までも予見することは不可能であるといわなければならない。

したがって、前記第一審の事実認定を正当として維持する以上、原審としては、本件事故につき被告人に過失は認められないものとして第一審判決を破棄すべきであったにかかわらず、前記のように、先行車と自車との間を他の歩行者もしくは車両等が横断を試みる場合のありうることを予見することが被告人にとってなお可能であったとして、被告人に過失の責任があることを認めたのであって、この点において、原判決には判決に影響を及ぼすべき理由のくいちがいまたは法令の解釈適用を誤った違法があり、これを破棄しなければ著しく正義に反するものと認める。

しかしながら、記録を調べてみると、第一審判示の事実関係は、ほとんど被告人の供述にそって認定されたものであることがうかがわれ、しかも、その内容は他の証拠に照らして多少不自然の感を免れない。ことに、先行自動車の存在を肯定させる資料は被告人の供述だけであり、被害者および事故の目撃者がこれを否定している点は再検討の必要があると思われる。そして、もしも先行車両がなく、事実は被害者および目撃者のいうとおりであるとするならば、被告人には、本件事故につきなんらかの過失があったのではないかと疑うべき余地があるので、これらの点につきなお審理を尽くさせるため、本件を原裁判所に差し戻すのが相当であると認める。

よって、刑訴法四一一条一号により原判決を破棄し、同法四一三条本文により本件を原裁判所に差し戻すこととし、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 大隅健一郎 裁判官 入江俊郎 裁判官 長部謹吾 裁判官 松田二郎)

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